埼玉県立妻沼高等学校
                               
平成30年10月26日(金)  
 

旧妻沼町について

 本校は旧大里郡妻沼町に創立された高校です。妻沼町は平成17 (2005) 年10月1日に熊谷市、大里郡大里町と合併し、新たに熊谷市となりました。
 以下の説明は本校の旧ウェブページに掲載されていたものを再掲したものです。


 妻沼は、埼玉県の北端中央部、利根川の南岸、都心から約80キロ、埼玉県庁からは53.6キロの地点に位置する。古くは、鎌倉時代のころから妻沼聖天の門前町として開け、江戸時代には中山道と上州南部とを結ぶ脇往還の宿駅として発展し、5・10日を市日とする市場町、利根川舟運の河港、渡し場としても栄えた。

 妻沼聖天と呼ばれる聖天様は正式には聖天山歓喜院長楽寺という。寺内聖天堂に縁結び、夫婦和合、招福除災に霊験ありとして広く信仰を集める大聖歓喜天(奈良時代)をまつるところから一般に妻沼聖天の呼び名で親しまれている。
 寺伝によると治承3年(1179)斎藤別当実盛が領地長井荘の総鎮守として、持仏の歓喜天を安置して聖天堂を建てた。
 これが開基となり、実盛亡きあとの建久8年(1197)実盛の二男実長らが聖天堂の別当として歓喜院長楽寺を開いたのだという。近世初期の慶長9年(1604)には徳川家康が朱印50石を寄せて保護の手を加えた。

 本校の東端に俵瀬という字があるが、ここは昔は俵瀬村と呼ばれていて、嘉永4年(1851)3月3日俵瀬村名主の家に生まれ、後に日本の女医第1号となった荻野吟子の誕生した所でもある。彼女は頭よし、器量よしで近隣の人達にうらやまれるほどであったので、望まれて上川上村の素封家に嫁いだが、明治3年病気のため離婚をした。その後さまざまの困難をのりこえて、明治18年にはついに開業医の資格を取り、その年の5月本郷湯島に開業、日本における最初の女医が誕生したのである。ときに35歳であった。

 現在の妻沼の基礎は、江戸時代から妻沼村として発展してきて、大正2年に弥籐吾村と合併して妻沼町となり、昭和30年には長井、男沼、太田など四ヵ村を合わせて今日に及んでいる。
 ちなみに人口をみてみると、明治22年1,974人、大正9年3,635人、昭和15年4,821人、同25年6,387人、同30年22,565人、同45年20,847人、平成元年28,512人、同14年28,678人となっている。
 妻沼ということばの由来は、利根川の流れが、今日の淵も明日は瀬となる、というようなことを繰り返すうちに、利根川の上流地と下流地とに同じような大きな沼ができ、上の沼を男沼、下の沼を女沼と読んでいたが、江戸時代になって音に漢字をあて目沼と書いた。御朱印に目沼とある。たまたま妻わすの妻と女を入れかえて妻沼と書き、これが一般の好みにあったのか、妻沼という文字が定着して今日に及んでいる。
 本校の地番の字名である「弥籐吾」は斎藤別当実盛孫弥籐五実幹が居住したところから結びついて地名となったものと思われる。江戸から明治にかけても弥籐吾村として明治22年の市町村執行後も一村として存続し、その時の人口は983人と記録されている。大正2年妻沼村と合併して妻沼町となり同町の大字となった。

(参考:妻沼町史)
 

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